日本へ帰国後、コロナ禍になり
ステイホームが始まった。
折角の時間を使い
以前から疑問に思っていた事を
色々と調べた。
絵を描くために日々観察している自然界の光と
科学界で観測され認識される光の、捉え方が
まるで別物のように感じたことや、
かつては描けなかった絵が描けるようになった、
自分の脳のしくみなど、
本を読み、ネットを検索し、
自分なりの答えが見つかった。
ブログを書き始めたのは
その答えを整理するため。
以前は、自分の考えを他人に話すことは
好きではなかった。
でも気持ちが変化した。
コロナ禍の時期を境に、
自分自身も色んなことが変化した気がする。
科学や光や歴史に関するYouTubeを見ていると
都市伝説や、神話や、占いなど、
非科学と言われる動画が関連に出てくる。
いくつかのタロット占いの動画を見てみると、
どの動画でも、自分の考えを
もっと発信した方が良いと言われた。
他人に指図されて
何かを始めるのは好きではない。
頭の中で理屈を捏ねて、1年経って
ブログのアカウントを作った。
そして、スパゲッティのように絡まった
頭の中を整理するために
ブログで文字化し始めた。
帰国後、新たな仕事もした。
各地で行なわれる様々なイベントの会場で
販売促進やアプリ登録のサポートをするのが
業務だった。
都合の良い日だけ勤務ができるのも
とても有り難かった。
四国や九州や関東など、勤務日の前日から
出張として一人で出向くことができ
早めに着いてレンタサイクルを借り
観光し、温泉を巡った。
野外での業務のため夏と冬は辛かったが
色んな場所へ行けることが楽しく
行く先々で色んな人と話し
考えを聞くことができるのも
良い経験だった。
コロナ禍が明け始めるまでの
3年間その仕事を続けたが、なんとなく
契約更新をしない方が良いと思い
その仕事は終えることにした。
自分の直感に従ったら、その後、
ずっとしたいと思っていた、
子供へのアート指導が実現した。
iloha's colour
Atelier ilohacolour Official Blog【画歴】
2025/08/19
20.新たな興味と仕事
2025/08/10
19.アート探訪 2019
折角ウィーンへ来たし、アートに触れ
したいことをしようと思った。
ウィーンの街を歩き回り
検索して見つけた郊外の画材店を見に行った。
画材店の大きな店内を見終わり帰ろうとした時
店頭に掲示板があることに気づいた。
掲示板には、色んなチラシが貼られてある。
再び店内に戻り、レジの店員さんに
「アートレッスンの貼り紙を貼らせてもらえるか?」
を尋ねると、すぐに許可してくれた。
私が絵を教えるかわりに、ドイツ語を教えてもらう、
Exchange Lessonのポスターを、日本から持参したパソコンで作り
街の印刷屋さんでプリントアウトし、再度、
画材店を訪れ掲示板に貼った。

数日後、2人の女性から連絡があり、レッスンを行なうことができた。
旅もした。
今や、アプリで列車や高速バスのチケットが取れる。
ミュンヘン、ニュルンベルグ、ライプツィヒ、
ドレスデン、ザルツブルクを旅した。
感動を共有できない寂しさはあるが
好きな所を自由に回れる一人旅は気楽だ。
ユースホステルや安いバックパッカーのホテルに泊まり
大声で話す客の声で眠れず、近くのマクドナルドへ行って
ビールを飲んだ。
その時、他人からよく言われる、
フットワークの軽さを、我ながら感じた。

ドイツのマクドナルドにはビールが置いてある。
ポテトをあてに飲んだビールは美味しかった。
そして各都市で、美術館や博物館を訪れた。
ウィーンでの滞在を終え
帰国する前に訪れたオクスフォードに
Ashmolean Museum of Art and Archeologyという
博物館がある。
一日ではとうてい見ることができないほど
数多くの美術品があるにもかかわらず、入場無料だった。
あまりに広いので、一角のベンチに座って休憩し
前を通り過ぎる人たちを見るともなく見ていた。
一枚一枚、丁寧に絵を鑑賞する人もいれば
さぁ~っと通り過ぎる人もいる。
けれど、結構な確率で立ち止まる一枚の絵があった。
建物の屋根と煙突が描かれたその絵は
一部分だけが一瞬写真のように見える。
「ん?」という声が聞こえてきそうな反応で
みんなが同じように顔を近づけて
絵を確認する様子が面白かった。
その様子を見た後に、所せましと絵が展示されている一室に入った。

まるで写真のように描かれた絵を見て
“どうやって描いたんだろう?
どうしたらこんな風に微妙な色の違いを
作ることができたんだろう?”
と、マジマジと絵を鑑賞し、
ベンチに座って、結構長い時間そこにいた。
しかし部屋に入ってくる人の数は少なく、
入って来ても殆どの人が、小さな部屋を
足早に回って出て行った。
その様子を見て思った。
“たぶん私も絵を描いてなかったら
どの絵もぜんぶ同じように見えてしまって
こんなにもじっくり観ることはなかっただろうなぁ”
でも絵を描く立場で、これらの絵を見て思ったこと。
“この画家達は、自分の絵をじっくり観てもらえず
こんな狭い部屋にぎゅうぎゅうに飾られ
きっと哀しいだろうなぁ”
私は人の興味のハヤリとスタリと
時代の移り変わりをしみじみ感じた。
それにしても、カラー写真の印刷技術も未だない時代に
自らの手を動かし、絵筆を操り
“どうすればこんな美しい色彩を
作ることができたんだろう?”と
当時の芸術家の色覚の鋭さに感心して
館内を見て回った。
Amelia by François-Hubert Drouais

A Girl with a basket of Fruit by Lord Frederic Leighton
まだフィルムカメラで写真を撮っていた数十年前
店によって焼増の仕上がりの色に違いが出ていたことを
思い出し、実感する。
そもそも、写真に現像された色は
実物の色とは違っている。
見る人それぞれの色覚によって
色の見え方は異なっている。
これらの絵に描かれた色彩も
この絵を描いた画家の眼に見えた色でしかなく
或いは画家の作りたかった色でしかなく
実際の色は、もはや誰も知ることはできない。
・・・・・・
日本へ帰国して、間もなくコロナ禍が始まった。
何が起るか分からない。
過去の長い歴史に浸った後に
想像もしなかった現実に戻り、近い未来を心配した。
ともあれコロナ前に帰国していて
本当に良かったと思った。
2025/07/21
18.一時休講
好奇心旺盛な私は、また別の疑問も湧いた。
“色鉛筆が発明されたドイツでは、
アメリカとは違い、なぜ絵画作品を描く画材として
それほど認知されていないんだろう?”
日本と同じ状況のドイツに行けば
広まらない理由が見つかるんじゃないか?
という気持ちと
新しいことに挑戦したい気持ちと
日本を出たい欲望と
海外で生活したい願望と
色んなことが重なって
2019年の春に教室を一旦休講することを
決心した。
私は、実現したいことを話すと
叶わなくなる。
実際、不言実行を続け、
夢が一つずつ叶ってきた。
願ってもいなかったことが
実現したりもした。
20代の頃、職場の同僚に
「言霊ってあるから、したいことは言った方が良い」
と言われ、「40才までにトライアスロンに出たい」
と打ち明けたことがあった。
当時、私は秘かにクロールの練習をしていた。
しかし話したことで熱を失い、結局
その夢は数年で消え失せた。
ドイツのワーキングホリデービザを取った時と
同様に、誰にも話さず、副職の仕事量を増やして
働きまくり、1年前から着々とドイツ行きを準備した。
本当はドイツへ行きたかったが、
アーティストビザを取ることは困難と知り、
ビザ無しで6ヵ月滞在できるオーストリアに
行くことにした。
ドイツと陸が繋がっているから何とかなる。
あれこれ考えることに疲れすぎた。
だから、具体的に何をするかを考えず
2018年の年末、2019年4月で教室を一旦休講したいことを
受講生の方々や文化センターへ伝えた。
2019年6月にウィーンでの生活を始め、
数ヶ月経った頃、テレビ番組『プレバト』で
リアルに描く色鉛筆のコーナーが始まり
色鉛筆が人気になっていると聞き知った。
色鉛筆で写真のようにリアルな絵が描けることが
広く知られることになった。
願っていたとおりに
色鉛筆が注目され始めた。
思ってもいなかった方法で願いが叶い
複雑な思いが何周も何周もまわり
その時の気持ちは今はあまり覚えていない。
2025/07/13
17.モチベーションの変化
一人でも多くの人に
色鉛筆の可能性を知ってもらいたい。
自分が今できることを考え、行動することは
とても楽しかった。
新たなことを始めることは
私にとっては問題なかった。
それよりも、継続することの方が難しいと思った。
でも何かを広めるためには、辛抱強く続けるしかない
と思い、展覧会を毎年行い、会場に机を置き、
来場者に体験レッスンを受けてもらえるようにした。
しかしながら、「絵心がないから絵を描くことができない」
と言う声を何度も聞き、教室や展覧会を継続するための
モチベーションは徐々に変化していった。
“Fine Art (=絵画作品)を描く画材として
色鉛筆が広く認知されること”
よりも
“もっと多くの人に
絵を描く楽しさを知ってもらいたい”
“色鉛筆がきっかけとなって
自分自身の可能性をもっと感じてもらいたい”
という願いの方が、強くなっていった。
そして同時に
教室を開講し展覧会を開催し始めてから
約10年経っても、未だ展覧会の会場で
「これ色鉛筆で描いた絵?」
と同じ質問が繰り返されることに
倦怠感を感じ、新たなことに挑戦したい
という好奇心が湧いてきた。
そんな私の感情がいろいろと相まって
色々考えた。
“好奇心や、逆に一歩が踏み出せない警戒心を
人が抱く時、つまり、人が感情を抱き、思考し、
そして行動する時、あるいは行動しない時、
一般的に、人の脳はどのように働き
人生が決まっていくんだろう?”
思い返すと画集『アメリカの色鉛筆アート』に惹かれ
色鉛筆に興味を持ち、絵を描き始めてから、
ずっと疑問を持っていることがある。
“そもそも『興味』はどこからやってくるんだろう?”
私は疑問を持つと解決せずにはいられない。
興味の起源には脳が関係しているはずだと思い、
書店で見かけた脳科学の本を読んだが
“興味がどこから来るか”は、脳科学でも未解明と
書かれていた。
しかしその脳科学の本が読みやすく、
脳のしくみについて色々学ぶことができた。
それによって
同じ画材を使い、同じピーマンの絵を見て描いても、
受講生それぞれ違う絵ができることはまったく不思議ではない、
と納得した。
また、絵を描き始めてから
私の音痴が解消されたことが腑に落ちた。
人の脳は、一般的に思われているより、
自分が思っているより、はるかに精密に
機能しているらしい。
年齢を理由に諦める必要はない。
脳は発達する。
今まで
何かを広めるためには、辛抱強く続けるしかないと
思っていたが、目的を果たすための方法として
“~しかない”ことはない、
自分の脳ミソを自分に合った方法で
働かせれば色んな方法が見つかるはず、
苦手なSNS発信を嫌々使う必要はない、
と思った。
→ 18.一時休講
2025/07/05
16.「大人の塗り絵ってどう?」
色鉛筆アート教室を始めて10年ほど経った頃
『大人の塗り絵』が認知症予防になるとして
人気になった。
当時、"手を動かし色を塗ることは、そりゃ
脳にとって良いだろう”という漠然とした
認識しかなかった。
しかし毎年行なう展覧会で
「大人の塗り絵を買ったけど、
見本みたいに上手く塗れないから1ぺージでやめた」という
声を何度となく聞き、
単に、色を塗ることが脳に良いわけではないと
思うようになっていた。
そして教室を始めて15年経った頃から
脳の働きに深く興味を持ち、自分自身の経験も鑑みると、
色を塗るだけでなく、色の濃淡(グラデーション)を作ることが
脳を活性化させるのだと思うようになった。
『大人の塗り絵』は、子どもの塗り絵とは違う。
名画や、立体的な花の絵や、遠近感のある風景画が
見本になった『大人の塗り絵』を塗るには、
色を徐々にぼかしグラデーションを作る必要がある。
つまりは、色鉛筆を手に持ち、ひと筆ひと筆、
自分自身の手の動きをコントロールし、色をぼかし、
そしてグラデーションができると、平面的な画用紙の上に
立体的な物体が浮き出ているように見え、
それが出来ると嬉しくなり、脳が喜ぶことになり、
脳が活性化する。
そう思った。
徐々に濃淡を変化させるのは
簡単そうで簡単ではない。
練習が必要だ。
でも、できるようになりたいと思い
正しい方法で練習すれば、グラデーションは
できるようになる。
何事にも、得手、不得手がある。
でもグラデーションができるかどうかは、
才能の有無で決まるのではない。
自分を信じて努力するか否かだ。
☆徐々に濃淡が変化するグラデーション☆
★濃淡に境目があるグラデーション★
(ダーツのように見える)
試しに大人の塗り絵をしてみたが、私自身は、
描かれた枠の中を塗るだけでは満足いかず、
それほど楽しさを感じられなかった。
折角アートレッスンを習いにくるのだから、
一から自分で描けるようになった方が良いのではとは
思うけれど、でも自分が満足できるなら、
色塗りだけを楽しんでも構わないと私は思っている。
絵の具とは異なり、色鉛筆は手軽に使える。
だから初心者の人にこそ、まずは色鉛筆を使って
絵を塗る楽しさを知ってもらいたい、そして
好きな絵をいろいろ描いてもらいたい。
そうすれば
描けなかった絵が徐々に描けるようになり、
色鉛筆がきっかけになって、自分自身の可能性を
感じてもらえるのではないか、結果的に
色鉛筆の価値が見直されるのではないか、
という思いが強くなっていった。
2025/06/15
15.余談|人の心理
毎年展覧会を行なっていると、
絵が描けるかどうかを聞いていないのに
「私は絵が描けない、絵心がない」
と言う人がいる。
それは展覧会においてだけでなく、
美容院や、話の流れで
絵の教室をしていることを伝えると、
同じように「私は絵が描けない、絵心がない」と
自分ができないことをアピールしてくる。
そういった人達は、もしも誰かが
「小説を書いています」と言ったら同じように
「私は文才がない、小説は書けない」と言うだろか?
私なら「へぇ、どんな小説を書いているんですか?」
と尋ねる。
初めての会話で、自分が小説が書るかどうかなんて
主張することはない。
でももしかしたら、
絵であっても小説であっても、何であっても、
自分ができないことをまず相手に伝えないと
気が済まない心理というものがあるのだろうか。
あるいは絵を描くことに関してだけ、
自分を卑下する心理が働くのだろうか。
思い返せば ー
私は画集『アメリカの色鉛筆アート』を見て
絵を描き始めたものの、上手く描けずに
「私には才能がない」と思って一度
絵を描くことを諦めた。
でも諦めきれずに私は再び描き始めた。
才能の有無を気にするよりも、なによりも、
どうしても絵が描けるようになりたかった。
だから -
「絵が描けない、絵心がない」と言って
描き始めない人は、とどのつまり本当は、
絵を描くことに別に興味がないんだと
思うようになった。
けれど聞かれてもいないのに、
「絵が描けない、絵心がない」と
言う人の心理は分からず、
その真意に興味を持った。
私はずっと、人の心理に興味がある。
心理学で統計的に考えられる理論ではなく、
本当の、個人個人の心理の違いに興味がある。
教室で手が止まっている受講生や、
どんな絵が描きたいかを上手く言い表せない受講生に
アドバイスする時に、今どういう心理でいるのか、
何を悩んでいるのかを考える必要があり、
人の心理を読もうとする癖がついてしまった。
でも結局のところ、特殊能力がない私には、
人の心理を、他人の心を読むことはできない。
自分ならどう思うかと置き換え
想像することしかできない。
仮に私が他人の気持ちを
推し量ることができたとして、
受講生なら分かってくれたと
喜んでくれるかもしれない。
けれど全員が全員私の推量を
正しいと認めるとは限らない。
図星だったとしても、
私に心を読まれたことを
不愉快に思い否定されてしまえば、
もはや何が正しいかなんて分からなくなる。
言葉は、意思を伝達しあう方法として
最も適した手段だと思う。
けれど、言葉は完璧なもの
ではない。
教えたい技法は沢山ある。
けれど言葉を使いすぎて、
「受講生の絵は、先生の絵に似ますね」と
言われないように気をつけねばと、そして、
受講生が言葉にできない自分の感情を
思いのままに表現できるように絵を教えたいと、
展覧会やレッスンを重ね、色んな人の声を聞き、
思うようになっていった。
2025/06/14
14.絵を描くモチベーションと絵を教えるモチベーション
一般的に、多くの人が
“色鉛筆は弱い筆圧で塗るもの”
“薄い色から塗り始めるもの”
という固定観点を子供の頃から持っている。
思っている人や、ぬり絵をする時は、輪郭線をはみ出さないように
なぞり内側はサ~っと軽く塗る人も多い。
だから教室では、初回レッスンの時に必ず
色鉛筆は筆圧を変えて塗ることができること、
そして混色できることを知ってもらうことから始めた。
またどうすれば、枠の中をムラなく同じ濃さで塗れるのか、
「筆圧加減の仕方」や「色鉛筆の動かし方」などをレッスンし、
カリキュラムを進めていった。
加えて、自分自身で下絵が描けるよう、
キュウリやサクランボなど簡単な課題から始め、
カリキュラムの課題を徐々にステップアップさせていった。
けれど完成する絵の出来具合はいつも様々。
例えば、体験レッスンの課題にしているピーマンの、
私が描いた絵を見本にして、全く同じ色鉛筆の色を使って
描いてもらっても、色んなピーマンの絵が出来上がる。
それぞれ筆圧が違い、
できあがる色の濃さが違う。
形も違う。
そもそも視力や色覚は違うから、見え方は人それぞれ
違っている。
同じ絵にならないから、レッスンをしていて
楽しく面白いと思った。
そんな受講生作品を、色んな人達にも見てもらいたい。
色鉛筆の魅力や可能性の幅広さをより多くの知ってもらいたい。
そう思い、教室開講から半年ほど経った頃、
次回の個展を行なう際に受講生にも
絵を出展してもらおう、と決めた。
自分の絵を出すなんて・・と初めは皆渋い顔をしたが、
各自好きなものを選びオリジナル作品の制作を始めてもらった。
そして教室を始めて1年目、私個人の第二回目の個展を行った時に
会場の一部で、受講生十数名の作品を展示した。
色鉛筆メーカーや画材メーカーに案内状を送り、
受講生各自も友人知人に案内状を送ってくれて、
多くの来場者に来てもらうことができた。
たまたまギャラリーを覗いてくれる人も沢山いた。
出展した受講生の方々に「絵を描くモチベーションになる」と
喜んでもらえたことが嬉しく、『受講生グループ作品展』を
毎年開催することにした。(→受講生作品展)
ただ、ある来場者に「受講生の人の絵は、
やっぱり先生の絵に似ますね」と言われ
ショックを感じたことがあった。
色々教えたいから色々言い過ぎて、
私が描く絵と似てしまうことになってしまった。
折角の個性を失ってもらいたくない。
教え方を見直さねばと反省した。
そして、もう一つ残念なことがあった。
受講生の絵を見て「みんな元々絵を描く才能が
あったんですよねぇ~、私は無理」と言う来場者がいた。
描いたことがあるのか尋ねると、
絵心がないから絶対無理だと言う。
なぜやりもしないで、できないと
決めつけてしまうんだろう。
同じように「絵心がない」と言いながら
描き始めた受講生は、実際に描けるように
なっている。
そう伝えると、「みなさん元々絵心が
あったんですよ~」と言う。
才能の有無で片付けようとする。
絵に限らず、誰もが何かしらの可能性の種を
持っていて、それを開花させるかどうかは
自分の努力次第だと、私は思っている。
直接的な努力だけではない。
間接的な努力で花開くこともある。
私は警察官になるために努力したが、
警察官にはなれなかった。
でも努力したことに変わりはない。
結果的に、絵を描き、教えるという
自分の可能性に気づくことができた。
だから努力することなく「才能がない」で
終わらせる人の話を聞いた時
とても残念に思った。
受講生や私の努力が認められず、
才能という言葉で片付けられることに
やるせなさと悔しさを感じた。
2025/06/08
13.色鉛筆アートレッスンの開講
20年前にはまだ、各企業の電話番号が記載された
NTT発行の電話帳が各家庭に無料配布されていた。
その電話帳で、文化センターやカルチャースクールを調べ
「色鉛筆アート」の講座開設ができないかと
片っ端から訪問して回った。
ちなみにその頃は、個人の固定電話番号が記載された
分厚い電話帳も定期的に配布されていた。
NTTへ連絡すると電話番号を非掲載にできた。
しかしながら、たった20年の間に
(情報の共有・管理についての)“常識”というものは
こうも変わってしまうものだと
時代の大きな変化を感じる。
カルチャーセンターを訪問して回ると、
既に「色鉛筆画」の講座があると言われ
ことごとく断られた。
油絵や水彩画に関しては、同じカルチャーセンターに
いくつもの講座が開かれていて、何人かの講師が指導している。
でも当時はまだ「色鉛筆」の講座は一つあれば十分と思われ、
「色鉛筆」の種類の違いを認めてもらえず
とても悔しい思いをした。
が、であれば色鉛筆講座がないカルチャーセンターを
探せばいい。範囲を広げて更にカルチャーセンターを回った。
そして、まだ色鉛筆の講座がなかった神戸の
カルチャーセンターでの開講が決まった。
そしてまた、カルチャーセンターとは別に
個人で場所を借り、教室を開く準備もしていた。
その頃、父が作った竹細工を展示販売しようと
町屋のスペースを一週間借り、その一角にある
落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけ
アートレッスンができないかと思いついた。
昼時を過ぎると客がいない時間帯があるため
場所を使わせてもらえないかと店主に相談し
「色鉛筆は匂いもなくテーブルを汚す心配もない」こと、
「レッスンの後にお茶とケーキを出してもらいたい」ことを
伝えると、「相乗効果が得られますね」と言って
レッスンの開講を快諾してくれた。
遡ることその3ヵ月間前、二回目の個展を開催した時に
「色鉛筆アート体験レッスンを受講したいか」を
たずねるアンケート用紙を会場に置き、約30名ほどの
希望者がいたため、早速その方々に
ティータイムレッスン開講のお知らせを送った。
すると合計27名の方から参加希望の返信があり
喫茶店での教室は平日と土日、3回に分け
2004年1月に第1回目のレッスンを行ない、
毎月継続して教室を行なうことになった。
そしてカルチャーセンターでの講座は、
約10名の受講生を迎え2004年2月に開講。
その後、大阪府・兵庫県・東京都など各地の
カルチャーセンターやイベントで講師の依頼を受け
色鉛筆アートレッスンを各地で行なうことに
なっていった。
2025/05/31
12.一念発起
ドイツでのワーホリ生活が半ば過ぎた頃、
絵を描きながら日本へ帰国した後のことを考えた。
例えば画家になれたとして、独り黙々と
絵を描き続ける生活を想像してみた。
それは私のしたいことじゃない、何か違うと思った。
コンスタンツでの1年間の滞在を終え、
仕事について明確な考えはないまま日本へ帰国した。
ひとまず、色鉛筆の可能性の幅広さを
知ってもらいたい、描いた絵を見てもらいたい
と思い、個展をしようと思った。
まずは、帰国後4ヵ月間で描いた絵も含め、
20枚ほどの絵を額縁店へ絵を持って行き
額装することにした。
一枚一枚、色んな額に当てどれが試すと、
額によって見た目の印象が変わり、
時間をかけてじっくり選んだ。
そして、情報誌で貸しギャラリーを探し
見よう見まねで案内状を作り、色鉛筆メーカーや
芸術系の雑誌社へ案内状を送った。
ギャラリー近くにあるラジオ局の番組へも
案内状を添えて手紙を送った。すると、
番組DJさんとスタッフの方が見に来てくれ、
まさかDJさんが直々に来てくれると思っておらず
腰をぬかすほど驚き、お礼を言うのがやっとだった。
そして個展を紹介してもらったお陰で、
一週間の会期中、多くの人に来てもらうことができた。
また、案内状を出した色鉛筆メーカーの
方が来られ、後日その方から
取引先の百貨店で行なわれる色鉛筆画の
一日体験レッスン講師の依頼をいただいた。
絵を教えた経験はなかったが即座に引き受けた。
二時間のレッスンを頭の中でシミュレーションし
自分がどうやって描くことができるようになったかを整理し
描く課題や、使う色鉛筆の色や、話す内容を考えた。
当時はまだパソコンを使い慣れておらず
画用紙に描いた自作のピーマンの絵を写真に撮り
写真を紙に貼り、レッスンテキストを作り
準備を調えた。
午前・午後各15名の枠は満席になり
レッスン当日を迎えた。
レッスンで何を喋ったかは覚えていないが
レッスンが終わった時に、それぞれ見ず知らずの
参加者同士まるで十年来の友達のように
お互いの絵を褒め合い、楽しそうに
話す様子を見てとても嬉しくなり
教える仕事を続けたいと思った。
早速、講座が開けるよう企画書と資料を作成し
カルチャーセンターを訪問して回ることにした。
大学生の時には好きな英語を活かせる仕事がしたいという
漠然とした考えしかなく、就職活動がうまくいかず、
唯一残っていた営業職の求人票を見て
内気な性格を変えるためだと腹をくくり、
結局3年間、営業の仕事をした。
その経験がこんな形で活かされることになるとは
思ってもいなかった。









