2025-08-10

19.アート探訪 2019

 折角ウィーンへ来たしアートに触れ、したいことをしようと思った。

ウィーンの街を歩き回り、検索して見つけた郊外の画材店を見に行った。画材店の大きな店内を見終わり帰ろうとした時、店頭に掲示板があることに気づいた。掲示板には色んなチラシが貼られてある。

再び店内に戻り、レジの店員さんにアートレッスンの貼り紙を貼らせてもらえないか尋ねると、すぐに許可してくれた。

私が絵を教えるかわりにドイツ語を教えてもらうExchange Lessonのポスターを、日本から持っていったパソコンで作り、街の印刷屋さんでプリントアウトし、再度、画材店を訪れ掲示板に貼った。




数日後、2人の女性から連絡があり、レッスンを行なうことができた。




旅もした。

今や、アプリで列車や高速バスのチケットが取れる。ミュンヘン、ニュルンベルグ、ライプツィヒ、ドレスデン、ザルツブルクを旅した。感動を共有できない寂しさはあるが、好きな所を自由に回れる一人旅は気楽だ。

ユースホステルや安いバックパッカーのホテルに泊まり、大声で話す客の声で眠れず、近くのマクドナルドへ行ってビールを飲んだ。その時、人によく言われるが、なるほど自分はフットワークが軽いのだと思った。

ドイツのマクドナルドにはビールが置いてある。ポテトをあてに飲んだビールは美味しかった。





そして各都市で、美術館や博物館を訪れた。

ウィーンでの滞在を終えて帰国する前に訪れたオクスフォードに、Ashmolean Museum of Art and Archeologyという博物館がある。

一日ではとうてい見ることができないほど数多くの美術品があるにもかかわらず、入場無料だった。





あまりに広いので、一角のベンチに座って休憩し、前を通り過ぎる人たちを見るともなく見ていた。

一枚一枚、丁寧に絵を鑑賞する人もいれば、さぁ~っと通り過ぎる人もいる。けれど、結構な確率で立ち止まる一枚の絵があった。

建物の屋根と煙突が描かれたその絵は、一部分だけが一瞬写真のように見え、「ん?」という声が聞こえてきそうな反応で、みんなが同じように顔を近づけて絵を確認する様子が面白かった。

その様子を見た後に、所せましと絵が展示されている一室に入った。






まるで写真のように描かれた絵を見て、私は“どうやって描いたんだろう?どうしたらこんな風に微妙な色の違いを作ることができたんだろう?”とマジマジと絵を鑑賞し、ベンチに座って結構長い時間そこにいた。

しかし部屋に入ってくる人の数は少なく、入って来ても殆どの人が、小さな部屋を足早に回って出て行った。

その様子を見て、“たぶん私も絵を描いてなかったら、どの絵もぜんぶ同じように見えてしまって、こんなにもじっくり観ることはなかっただろうなぁ”と思った。

でも同じ、絵を描く立場でこれらの絵を見て、“この画家達は、自分の絵をじっくり観てもらえず、こんな狭い部屋にぎゅうぎゅうに飾られ、きっと哀しいだろうなぁ”と思い、人の興味のハヤリとスタリと時代の移り変わりをしみじみ感じた。

それにしても、カラー写真の印刷技術も未だない時代に、自らの手を動かし、絵筆を操り、“どうすればこんな美しい色彩を作ることができたんだろう?”と、当時の芸術家の色覚の鋭さに感心して、館内を見て回った。



Amelia by François-Hubert Drouais


A Girl with a basket of Fruit by Lord Frederic Leighton


まだフィルムカメラで写真を撮っていた数十年前、店によって焼増の仕上がりの色に違いが出ていたことを思い出し、実感する。


そもそも、写真に現像された色は、実物の色とは違っている。
見る人それぞれの色覚によって、色の見え方は異なっている。

これらの絵に描かれた色彩も、この絵を描いた画家の眼に見えた色でしかなく、或いは画家の作りたかった色でしかなく、実際の色は、もはや誰も知ることはできない。


・・・・・・


日本へ帰国して、間もなくコロナ禍が始まった。何が起るか分からない。過去の長い歴史に浸った後に、想像もしなかった現実に戻り、近い未来を心配した。

ともあれコロナ前に帰国していて本当に良かったと思った。