子供の頃は人前に立つのが恥ずかしく、授業中、先生に当てられ発言するのも本当にイヤだった。休憩時間もずっと自分の席に座ったまま、本を読み、読む本がなければうつ伏せて、休憩時間が終わるのを待っていた。当時はまだ絵を描くのが特別好きなわけでもなかった。
今は教室の前に立ち、数十人の前でもレッスンを行なえる。お喋りではないが初対面の人とも会話を楽しむ。けれど団体行動が好きでなく人と群がるのも苦手で、他人と同じであるのがイヤな気質、負けん気のある気質は、子供の時から変わっていない。
たとえば幼稚園で担任の先生の絵を描いた時のこと。洋服の色を、顔と同じ肌の色で塗った。ベージュの服を先生が着ていたかどうかは覚えていない。一色でまとめた方がきれいだと思い、いわばコーディネイトのつもりで、顔の色に合わせて服を塗ったような記憶が朧気ながらある。しかし同じ組の男の子からは「裸や!」とからかわれ、服の形を描いているのに何でハダカ?と思い、その男子を相手にしなかった。
また小学1年生か2年生の理科の時間に、固形石鹸を使う実験をした時のこと。板チョコのように、縦2個×横3個の凹凸でできた小さな石鹸を、2個分だけカッターナイフで切り取るよう指示があった。縦2個を切り取れば簡単に切り取れる。けれど私は何を思ったか、横3個の内の2個を切り取った。それを見た先生は、なぜそんな切り方をするのかと苛立ち怒った。切り方までは指図されていない。別に怒らんでもいいやん、と心の中で睨み返した。
生まれ持った気質は、大人になっても変わらないと言われる。けれど間違いなく、性格は、変化する。
「気質」は生まれつきのもの
「性格」は経験や環境によって形成されるもの
個人を形成する大きな要因の一つは、祖先から受け継いだ遺伝。けれど、環境は、要因としてより大きな割合を占める。
例えば、両親が日本人でも生まれた時からアメリカで生活していた場合、そして日本語を話さず英語だけを使い、現地のルールや文化に従い生活していれば、日本で生活していた人生とは全く異なることが考えられる。
それはアメリカに限らず、国によって文化や常識は大きく異なり、日本国内でも習慣が違う
場所が違えば食事は違い、体質は変わる。
車社会か否かで、日々の運動量が変わる。
文化によって思考パターンや行動パターンは変わり、生活習慣は変わる。
現地で子孫を残せば、子孫はそのDNA配列を受け継ぐけれど、個個のDNA配列は、また変化する。
祖先から受け継いだ遺伝による体質や気質だけでなく、環境によって、個人個人の生活習慣は変わり、「性格」は変化しえる。
マザーテレサ
思考に気をつけなさい。それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。それはいつか性格になるから。
経験上、そのとおりだと思う。
※マザーテレサは「性格に気をつけなさい。それはいつか運命になるから」と最後に言っている。それには納得できず省いた。「運命」の言葉の意味は、“人間の意志をこえて人間に幸福や不幸を与える力”のこと。自分の意志がおよばず結局は定めに従うしかない、のはマザーテレサ自身の論理に矛盾する。「性格に気をつけなさい。それが人生になるから。」だったら納得できる。
一般的に、DNAや遺伝子が個個を形成する大きな要因と捉えられ、「性格は変わらない」、「絵の才能は生まれつきだから、自分には絵は描けない」と思っている人が多いかもしれない。
そんな思い込みを覆したい。絵が楽しく描けるようになってもらいたい。私もできないことができるようになりたい。可能性の要素・本質は自分自身にあるはず。それを確かめるために脳のしくみについて引き続き調べた。