2025-05-31

12.アーティストになるための活動

ドイツでのワーホリ生活が半ば過ぎた頃、絵を描きながら日本へ帰国した後のことを考えた。例えば画家になれたとして、独り黙々と絵を描き続ける生活を想像してみた。それは私のしたいことじゃない、何か違うと思った。

コンスタンツでの1年間の滞在を終え、仕事について明確な考えはないまま日本へ帰国した。

ひとまず、色鉛筆の可能性の幅広さを知ってもらいたい、描いた絵を見てもらいたいと思い、個展をしようと思った。

まずは、帰国後4ヵ月間で描いた絵も含め、20枚ほどの絵を額縁店へ絵を持って行き、額装した。一枚一枚、色んな額に当てどれが試すと、額によって見た目の印象が変わり、時間をかけてじっくり選んだ。

そして、情報誌で貸しギャラリーを探し、見よう見まねで案内状を作り、色鉛筆メーカーや芸術系の雑誌社へ案内状を送った。ギャラリー近くにあるラジオ局の番組へも案内状を添えて手紙を送った。すると、番組DJさんとスタッフの方が見に来てくれ、まさかDJさんが直々に来てくれると思っておらず、腰をぬかすほど驚き、緊張し、お礼を言うのがやっとだった。

そして個展を紹介してもらったお陰で、一週間の会期中、多くの人に来てもらうことができた。

また、ある色鉛筆メーカーの方が来られ、名刺をいただくことができた。後日その方から連絡があり、取引先の百貨店で行なわれる色鉛筆画の一日体験レッスン講師の依頼をいただいた。

絵を教えた経験はなかったが即座に引き受けた。二時間のレッスンを頭の中でシミュレーションし、自分がどうやって描くことができるようになったかを整理し、描く課題や、使う色鉛筆の色や、話す内容を考えた。

当時はまだパソコンを使い慣れておらず、画用紙に描いた自作のピーマンの絵を写真に撮り、写真を紙に貼り、レッスンテキストとしてコピーを取り、準備を調えた。

午前・午後各15名の枠は満席になり、レッスン当日を迎えた。

レッスンで何を喋ったかは覚えていないが、レッスンが終わった時に、それぞれ見ず知らずの参加者同士まるで十年来の友達のようにお互いの絵を褒め合い、楽しそうに話す様子を見てとても嬉しくなり、教える仕事を続けたいと思った。

早速、講座が開けるよう資料を作成し、カルチャーセンターを訪問して回ることにした。

大学生の時には好きな英語を活かせる仕事がしたいという漠然とした考えしかなく、就職活動がうまくいかず、唯一残っていた営業職の求人票を見て、内気な性格を変えるためだと腹をくくり、結局3年間、営業の仕事をした。

その経験がこんな形で活かされることになるとは、思ってもいなかった。



2025-05-25

11.余談|カメラの起源と名画

 物理学、数学、天文学のために開発され、カメラの起源になった「カメラ・オブスキュラ」という装置がある。現代は、カメラが捉えた映像は印刷用紙に現像され、簡単に見ることができている。

しかし現像技術がまだない時代は、大きな箱型のカメラ・オブスキュラの上面のガラス板に紙を置き、映し出された映像を人が描き写していた。芸術においても、その装置が使われ、写生が行なわれたと言われている。


カメラ・オブスキュラ
(出典 Wikipedia)


現代のある一人のイギリス人アーティストが、科学者と共にカメラ・オブスキュラを再現して検証し、「正方形に描かれたフェルメールの絵画は実物を観察して描いたのではなく、カメラ・オブスキュラに映された画像をなぞって描いた可能性がある」と考察している。ミケランジェロや、ダ・ビンチの作品にもその可能性があるという。

今となってはその真偽は誰にも分からないが、いずれにせよ、そのイギリス人画家には芸術を鑑賞する品格がない、下品だ、と私は思った。

フェルメールが実物を自分の眼で捉え、その形をキャンバスに再現したならば、その観察力と描写力はすごいが、たとえそうでなかったとしても、彼のその科学的検証と考察には、一体どんな意義があるのだろう。

フェルメールの作品に限らず幾多の名画には、キャンバスの上に創造された豊かな色彩の層がある。その絵を描こうと思った画家一人ひとりの想いがある。

画家がその絵を描こうとした動機や、感情や、意思や、描き方や、構図や、描いた形や、彩った色や、その作品が持つすべての要素は、時代を超え、国境を越え、何百年という時を経て、何万人という人々に影響を与え、多くの芸術作品が生み出されている。

芸術においてのみならず、後生に多大な価値を生み出している。フェルメールの作品が人々にもたらした意義は数知れない。

芸術の鑑賞の仕方は人それぞれ自由だ。他者の権利を奪わない限り、是非も善悪もない。イギリス人画家の考察も然りだ。

しかしながら機械を使った彼の科学的な考察には、表面的にしか絵画作品を捉えていない彼の鑑賞の仕方には、品がない。それはまるで、女性が美しく身を装い化粧をしている工程を覗き見るような品のなさだと、私は感じた。

もしもカメラを使って描くことに疑問を抱いたのであれば、自身は自分の眼を鍛え実物を見て写生すればいい。ただそれだけのことだ。

この世の中は様々な色や形で溢れている。光があり闇がある。人それぞれ視点が違う。視力も違う。同じ視界に入っている同じ色や形でも、認識の仕方はそれぞれ異なっている。

人は見たいものを、見たいように見る。見たいものを、見たいようにしか見ない。だから同じ物を描いても、全く同じ画材を使っても、違う絵ができる。

だからアートは楽しいのだ。芸術は素晴らしいのだ。



2025-05-24

10.アートに浸る

 1年間住むことになった家のすぐ近くにコンスタンツ大学があり、学生でなくても構内に入ることができた。図書館にあるパソコンを利用するため学生と一緒に列に並び、インターネットを使うこともできた。

今のようにスマホがなければ生活できないほどインターネットを必要としたわけではなかったが、時折、アートに関する情報をインターネットで調べたりした。

近代アートの関連サイトを見ていたある日、アートとは何か?美術とは何か?と悩んだことがあった。

ある有名お笑い芸人が番組内でコミカルなキャラクターに扮する(決して美しいとは言えない)ワンシーンを切り取り、そのまま絵画として描いた新人アーティストが、某美術雑誌で紹介されている記事をインターネットサイトで見た時、“美術”とは一体何なんだろうと思いモヤモヤした。

そして以前、テレビ番組『美の巨人』で紹介されたルノワールの言葉を思い出した。『世の中には醜いものが沢山あり過ぎる。新たに絵を描くのに、なぜわざわざ醜いものを生み出さないといけないんだ。美しく、楽しくなければ絵なんて描かない。』

悩むことなんてない。私が美しいと思う絵を描けばいい。それでいいんだ。

借りている部屋にあったラジオで、毎日地元のラジオ番組Annte Bayernを流し、音楽を聞き、独り黙々と絵を描く毎日を過ごしていると、それでもまた頭に思考が巡った。

写真を見て描くことを否定するアート記事を目にして、当時の私は気が滅入った。が、今はそれについても自分が納得できる考えに至っている。写真を見て絵を描くなら写真でいいと論じる人は、おそらく“絵を飾る”ことだけしか考えていない。

自分の感覚を研ぎ澄ませて構図を考え、眼前の光景を切り取り、自分自身の手の動きを微妙に駆使し、画用紙の上に色彩を作り出す、その自らが作り出した表現によって心踊る。そんな体験をしたことがおそらくないんだ。

絵を完成させる達成感や満足感、喜びを味わったことがきっとないんだ。“絵を描く”という行為そのものをおざなりにしているんだ。

楽しく絵を描きたい人に対して「絵は、実物を見て描かなければならない」というのは、例えば山頂からの眺めを楽しみたい人に「山頂からの景色を見たければ、麓から歩かなければならない」というのと同じだ。街から列車を乗り継ぎ、山頂へ辿り着き眺めることができる美しい景色が、日本や世界に沢山ある。

麓から山頂に通じる道は、歩くためだけにあるのではない。
絵画は、飾るためだけに描くのではない。

欲望は、人それぞれだ。
文明の利器を否定する縛りなどない。

他人の権利を奪わない限り、芸術は自由だ。

コンスタンツの自然の美に触れ、毎日絵を描いていたある時、この世の中で一番美しいものは一体何なんだろうと、ふと考えたことがあった。

まるで絵画のようだと言われるほどの自然の光景か?まるで写真みたいと言われるほど写実的に描かれた自然の風景画か?いや、人が作った絵画は、自然の美にはかなわないだろう。

たぶん、“生命の誕生”がこの世で一番美しいものだと思いが巡り、ヒトが誕生する遙か以前の、植物が光を浴び水を得て土から芽が出るさらにもっと前の、一番初めの生命誕生の起源を想像した。

そして太古の時代から生命がつながり、自分が今好きなことができている幸せに、つくづく感謝した。アートを通して、私は自分自身の存在に感謝した。



2025-05-10

9.ドイツの文化

 2001年当時、ドイツの通貨はマルクだった。ドイツの物価は、当時の為替もあり日本よりも安く感じた。

2002年1月1日にユーロに変わった時に色んな物が便乗値上げされたようだが、それでも物価高を感じることはなかった。スーパーで売られているジャガイモやその他の野菜、ウインナーやチーズがとても安くて驚いた。それに美味しかった。

“ドイツならでは”あるいは“コンスタンツならでは”と感じることもあった。空瓶をスーパーに持参し、スーパーに設置されている機械に空瓶を入れるとお金が返金されるデポジットの習慣があった。

またスーパーでは、自分の買い物袋に商品を入れて店内を巡る客を見かけて驚いた。買い物袋に入れた商品を、レジで全て取り出し、買い物袋が空になったのをレジの店員に見せ、料金の支払いをしていた。厳格でルールに厳しいドイツのイメージを垣間見た気がした。

また20年前の日本ではまだ、買い物袋が必要か否かが尋ねられることはなかったが、ドイツでは当時から「Eine Tüte?/ 袋は?」と聞かれた。外国人の私だけにではなく全ての客に対して、文章ではなく短い言葉で"Eine Tüte?"と尋ねる習慣も、日本とは全く違うと思った。

車の通行も人通りもない赤信号でも、歩行者の人たちは青になるまできちんと待っていた。バス停でバスを待っている時、見知らぬ人が 「Guten Tag/こんにちは」と挨拶してくれることが度々あった。

コンスタンツの街にあるCDショップでは、ビニール包装がされていないCDが店頭に並び、すべてのCDが視聴できるようになっていた。客はみな、店員に確認することなく気になるCDを店内のCDプレーヤーで視聴し、聞き終わるとCDケースに入れ元の売り場へ戻していた。

人が法律を守らなければならないのは当たり前。ドイツは何だか、居心地良く感じた。

一方で、日本を出て分かる日本の良さが多々ある。どこにでもトイレがある。無料でトイレが使える。温泉がある。美味しい魚が食べられる。チップの支払いがない。ホスピタリティーに溢れている。

でも当時の私にとって、自然に囲まれたコンスタンツはまるで天国だった。目にする景色すべてを絵に描きたいと思った。実際、朝から晩まで絵を描き続け、早く翌朝にならないかと思いながら就寝するほど、絵を描くことが楽しくて仕方なかった。

部屋を借りる前に一週間泊まっていたホテルのオーナー夫妻と親しくなり、新しい家に住み慣れたことを伝えに訪れた際、「ベッドメイキングをしていた人が辞めたから、代わりに仕事をしないか」と聞かれ、アルバイトをしながら絵を描く生活が始まった。

自転車を購入し、30分かけてバイトへ向かう道中、美しい自然を目にするたび今まで感じたことのない幸福感を感じた。