初めてアメリカ色鉛筆協会展覧会に入選することになる『Home-grown Peppers』の絵を描いていた2000年当時、両親が健康維持のためNHKを見てラジオ体操をし始めた。
ラジオ体操が終わるといつもはテレビを消していたが、たまたまつけたままになっていたテレビでドイツ語講座が始まり、朝食を摂りながら何気なく見ていて、ドイツ語に興味を持った。
講師の先生の話し方がとても穏やかで聞き心地が良かった。大学で第二外国語を選ぶ際、ドイツ語は難しいと聞きフランス語を選んだためドイツ語の知識は全くなかった。
その翌週からテレビのドイツ語講座を毎週録画し、興味はさらに増し、ラジオ講座を録音して勉強した。当時はまだカセットテープの『Walkman』があった。
カセットデッキで録音したカセットテープを『Walkman』で聴き、数秒単位で何度も巻き戻すことができたため、何度も聞き返してスクリプトの書き取り練習をした。
ドイツ語は発音のルールが分かりやすい。「ei」は「アイ」と読めばいいし、「eu」は「オイ」と読めばいい。だから逆に「アイ」と聞こえれば「ei」と書けばいいと判断できた。ドイツ語の文法は難しいが、読み書きは比較的簡単と感じ、分析が好きな私はルールが明確なドイツ語にはまった。大学でドイツ語を選べば良かったと思ったが、いや、その時に知ったからこそドイツ語に興味が持てたのだとも思った。
そして、たまたま2000年にドイツのワーキングホリデー制度が始った。ドイツへ行きたい、行くしかない!と思った。ドイツ語を学びたいと思ったのではなく、ドイツに行けば描きたいものが見つかり色鉛筆アートに専念できると思った。
『Home-grown Peppers』の絵の背景を考えるためパプリカを探しても見つからず、当時の日本では未だ身近な食材ではなく、京都の錦市場でやっと見つけたパプリカが個別にナイロン包装され店頭に並んでいるのを見て、描きたいと思える“自然”が日本にはないと感じていた。その頃は美しい日本の“自然”が目に入っていなかった。
『Home-grown Peppers』の絵がアメリカ色鉛筆協会の展覧会に入選したことで、色鉛筆アートに専念したい気持ちに拍車がかかった。早速、『地球の歩き方』を購入しドイツのどこに住むを考えた。
ドイツ語講座で紹介されていたミュンヘンに興味を持ち、情報を得るため京都にあるゲーテ・インスティテュートへ行った。ミュンヘンの様子が映ったDVDを見ると、携帯電話で話しながら街を闊歩する若者がいて「これだと自分が住む場所と同じだ」と思った。再度『地球の歩き方』をペラペラめくっていると、大好きなスイスの国境近くにある、小さな街コンスタンツに惹かれた。
ワーキングホリデービザ取得が完了し、勤めていた会社を辞め、航空券と到着地チューリッヒで2泊するホテルを予約した。コンスタンツで滞在するホテルは現地に行ってから予約すればいい。1年間の住居や食費にかかる費用を調べ、準備をすべて整えた。
2025-03-26
6.色鉛筆アートに専念する幾つものきっかけ
2025-03-18
5.色鉛筆アートの基本を知る
Annさんに会い、一層色鉛筆とアートに惹かれた。翌1999年、シアトルで開催された第7回CPSAアメリカ色鉛筆アート展覧会へ行き、会場で行なわれていたワークショップを見学することができた。
一人のアーティストがスライドを使い、描き方の工程を紹介していた。曰く「下絵を描いた後、色を塗る前に、グレーを使って色の濃淡を作っている、いわばデッサンをしている」と。目から鱗が落ちた。なるほど、色彩を作るよりも、まず光と陰を観察し、立体感を作ればいいのか!
小学生の図工の時間にアジサイの絵を描いたことがあった。葉の形をギザギザに描くと、「葉っぱの輪郭線を丸く描いている子がいるけれど、伊久多さんはよく観察しているね」と先生に褒められた。
モノの形状はその頃から私の目に入っていた。でも大人になっても、光によって色彩が濃くなったり薄くなったりすることを、意識しては見ていなかった。第7回CPSA展覧会を訪れ、応募して選ばれなかった私の風景画には奥行きが感じられないことに気づくことができた。
ワークショップでアーティストがお勧めしていた画用紙『Stonehenge』と、Annさんに教えてもらった色鉛筆『Prismacolor』をシアトルの画材店で購入した。
その後バンクーバーからナイアガラまで、グレイハウンドバスを乗り継ぎカナダ横断の旅をした。オタワの青空市場に並んだ彩り豊かなパプリカは、光が当たりツヤツヤに輝いていた。このパプリカの光沢感を描きたいと思った。
帰国後、会社勤めの傍ら描画に熱中した。画用紙に描いた下絵にグレーで濃淡を作ると、パプリカが立体的に浮き出ているように見えた。嬉しかった。
色を重ねると色が混ざった。立体感のあるツヤツヤのパプリカができた。本当に嬉しかった。絵を描くことがとても楽しくなった。
Annさんも、ワークショップで講義をしてたアーティストさん達も言っていた。「モチーフにする写真は参考でしかない。カメラの眼は一つ。人の眼は二つ。写実画を描きたいなら、写真に映ったものをそのまま丸写しして描いてはいけないよ。」
絵に興味を持つ前に、私は一眼レフカメラに興味を持っていた。意識して見ると、実際の色と写真に印刷された色とは違うことが分かる。それにカメラレンズに近い物ほど、形は大きく引き伸ばされて映る。片目を閉じて見るとそれが分かる。
カメラが捉えた物の形は、両目で見る現実の形とは異なっている。
絵を描き始めたことで、見ているようで見ていないことが多いことに改めて気づいた。オタワで見たパプリカの絵を時間をかけて描き、念願の展覧会入選の夢が叶った。
Home-grown Peppers
【2001年第9回CPSA展覧会入選】
2025-03-11
4.余談|色鉛筆の違い
2025年現在まで、ずっと油性色鉛筆を愛用してきた。
大人になって始めて買った水性色鉛筆を長らく使っていなかった。UKCPSA展覧会の賞品として頂戴した色鉛筆ももったいなくて使ったことがなかった。
でも使わないのももったいない。コロナ禍になりステイホームで時間ができた時、思いたって家にあった色鉛筆と、気になって最近購入した数種類、計15種類の色鉛筆を塗り比べてみた。油性色鉛筆も水性色鉛筆もメーカーによって芯の硬さも色味も様々だけれど、できるだけ芯を尖らせて筆圧を加減すればムラなく重ね塗りができ混色が可能。
巨峰の絵は未完成。
他の色鉛筆もいろいろ試してみたい。
2025-03-04
3.油性色鉛筆の存在を知る
Susanさんから返事が届いた数ヶ月後、もう一人のアーティストから返事が届いた。
アメリカの住所に送ったAnn James Masseyさんへの手紙は現住所のあるパリへ転送され、それゆえ返事が遅くなったと詫びて丁寧に質問に答えてくれていた。
そして「もしもパリへ来ることがあればいつでも私の原画を見に来て良いよ」と書いてある。感激した。絶対に行きたいと思った。厚かましいけれど本当に原画を見に行って構わないかとAnnさんへ連絡をすると、時間を取ってくれると返信が来た。
写実的で細かな色鉛筆アート作品を描くアーティストさんたちに対して少し厳格な人柄のイメージを勝手に抱いていたが、SusanさんもAnnさんも、とても明るく朗らかで優しい人だった。
見ず知らずの私にAnnさんはいろんなことを教えてくれただけでなく、お気に入りのパリの場所を案内してくれた。Annさんと2人でパリの地下鉄に乗った時に車内の空調が効いておらず、お土産で持っていった扇子を早速取り出し前にいる乗客へも Fresh air!と言ってあおいであげていた光景を、今でも鮮明に覚えている。
アーティストそれぞれ好みの画用紙があることや、色鉛筆には油性と水性があることも、Annさんが教えてくれた。水性色鉛筆が日本で一時ブームになったことがあり水に溶ける色鉛筆の存在は知っていたが、油性の色鉛筆があることは知らなかった。
今はネットを開けばたいていの物は買える。けれど、アメリカの色鉛筆アーティストさんたちが愛用しているという油性色鉛筆を手に入れるのは当時は簡単ではなかった。いくつかの画材店を巡りやっと見つけた記憶がある。
『Prismacolor』として販売されているそのアメリカ製の油性色鉛筆は、取扱い会社変更によって以前は『Eagle』 や『Berol』の名前で売られていたらしい。Annさんがくれた何本かの色鉛筆に、それらの名前が刻まれている。
日本ではベステックという代理店が、アメリカから『Prismacolor』の芯を取り寄せ製造加工し『カリスマカラー』として販売していたが、2024年12月末で製造終了になった。カリスマカラーの品質に近い製品『DesArt COLOR/デザートカラー』が新発売になる旨、ベステックのサイトに掲載されている。
今では画材店の棚にわかりやすく分類された「油性色鉛筆」と「水性色鉛筆」が一本ずつ単品で購入できるようになっている。
『アメリカの色鉛筆アート』に載っていた写実的な絵画作品が描ける色鉛筆は、『Prismacolor』以外にも多種ある。パリへ行った5年後に、そのことを知ることとなった。
2025-03-01
2.CPSA色鉛筆アート展覧会 1998
手紙を送り数ヶ月後、Susan Avishaiさんから返事が届いた。画集に載るほどのアーティストが返事を書いてくれることを、期待はせずに、でも待ち望んでいた。でも本当に届くとは思っていなかった。憧れのスーパースターから返事が届き泣くほど嬉しかった。
Susanさんの手紙には、「アメリカには色鉛筆協会があり毎年開催される展覧会に行けば原画を見ることができる」と書かれてあった。画集に載っていたSusanさんの作品は、チェック柄のシャツを来た男性の絵とベルベット生地の上着を着た女性の絵で、それぞれ衣類のシワや質感にとても魅力を感じた。その旨を手紙に書いたと思う。
あなたも絵を描くの?と質問を添え、メールアドレスを書いてくれていた。およそ十年後に日本へ来たSusanさんと会うことができた時、改めてその時の礼を伝えた。
Susanさんは衣類の素材が好きらしい。人が着ている服を見ると、この色は色鉛筆のあの色とあの色を重ねると作れる、など考えてしまうと話していた。Susanさんと会った頃は本格的に絵を描き始めていたため、Susanさんの色彩への興味に共感した。
Susanさんから返事が届いた当時、私が勤めていた会社ではオフコンからパソコンへ切り替えが始まり、取引先のシステム担当者がほぼ毎日のように来て、事務員たちに一から操作方法を指導してくれていた。
私はそれを機に家にパソコンを購入した。机に置いた大きなデスクトップのパソコンで、インターネットを接続することもできるようになった。2026年にサービスが終了するらしいADSL回線の更に前の、「ダイアルアップ回線」が当時のネット通信の主流で、電話回線を使った時間によって課金されるため、必要な時に必要なことだけを検索した。
そしてアメリカ色鉛筆協会について調べ、ワシントンD.C.で開かれる『第6回CPSA色鉛筆アート展覧会』へ行くため、アメリカ旅行を計画した。
ワシントンの空港に着き、税関で入国目的を聞かれた時、誇らしげに「色鉛筆アートの展覧会を見に行く」と答えた。税関職員は「色鉛筆の?」と少し馬鹿にしたように笑い、何日滞在するのかと聞いてきた。3日間と答えると、色鉛筆の絵を見るためにわざわざ来たの〜?とその女性は声を上げて笑い出した。ムカついた。作品を見たこともないくせにと腹が立った。
でも確かに、たかが"色鉛筆"の絵を見るためだけにこんなことをしてていいのかと現実思考が噛みついてきた。けれど、警察官になる夢がなくなり、色鉛筆アートの原画を見ることが夢になり仕事をしてお金を貯めて来ているんだ。私の夢を馬鹿にする権利は誰にもない。
展覧会の会場へ着くと、受付にいた一人の女性が"Thank you for coming."と言って出展作品のリストと次回の展覧会の出展要項を渡してくれた。
額装された作品一枚一枚をまじまじと眺めた。正面から斜めから、また正面から絵を眺め、色鉛筆の線の跡を見ると、筆圧が強く塗られていることがわかった。色鉛筆を強く塗る考えはなかった。なるほどそうか。
展示してある全ての絵を見終わり、手に持っていた出展要項を読んだ。この展覧会に選ばれたい。大きな夢ができた。


