2025-06-15

15.余談|人の心理

毎年展覧会を行なっていると、こちらから、絵が描けるかどうかを聞いていなくても、「私は絵が描けない、絵心がない」と言ってくる人がいる。

それは展覧会においてだけでなく、日常的に何かの話の流れで絵の教室をしていることを伝えると、同じように「私は絵が描けない、絵心がない」と自分ができないことをアピールしてくる。

そういった人達は、もしも誰かが「小説を書いています」と言ったら同じように「私は文才がない、小説は書けない」と言うだろか?私なら「へぇ、どんな小説を書いているんですか?」と尋ねる。初めての会話で、自分が小説が書るかどうかなんて主張することはない。

でももしかしたら、絵であっても小説であっても、何であっても、自分ができないことをまず相手に伝えないと気が済まない心理というものがあるのだろうか。あるいは絵を描くことに関してだけ、自分を卑下する心理が働くのだろうか。

思い返せば、私は画集『アメリカの色鉛筆アート』を見て絵を描き始めたものの、上手く描けずに「私には才能がない」と思って一度絵を描くことを諦めた。

でも諦めきれずに私は再び描き始めた。才能の有無を気にするよりも、なによりも、どうしても絵が描けるようになりたかった。

「絵が描けない、絵心がない」と言って描き始めない人は、とどのつまり本当は、絵を描くことに別に興味がないんだと思うようになった。

けれど聞かれてもいないのに、「絵が描けない、絵心がない」と言う人の心理が分からず、その真意に興味を持った。

私はずっと、人の心理に興味がある。心理学で統計的に考えられる理論ではなく、本当の、個人個人の心理の違いに興味がある。

教室で手が止まっている受講生や、どんな絵が描きたいかを上手く言い表せない受講生にアドバイスする時に、今どういう心理でいるのか、何を悩んでいるのかを考える必要があり、人の心理を読もうとする癖がついてしまった。

でも結局のところ、特殊能力がない私には、人の心理を、他人の心を読むことはできない。自分ならどう思うかと置き換え想像することしかできない。

仮に私が他人の気持ちを推し量ることができたとして、受講生なら分かってくれたと喜んでくれるかもしれないが、全員が全員私の推量を正しいと認めるとは限らない。図星だったとしても、私に心を読まれたことを不愉快に思い否定されてしまえば、もはや何が正しいかなんて分からなくなる。

言葉は、意思を伝達しあう方法として最も適した手段だと思う。けれど、完璧なものではない。

教えたいことは沢山ある。けれど言葉を使いすぎて、「受講生の絵は、先生の絵に似ますね」と言われないように気をつけねばと、そして、受講生が言葉にできない自分の感情を思いのままに表現できるように絵を教えたいと、展覧会やレッスンを重ね、色んな人の声を聞き、思っている。



2025-06-14

14.色鉛筆アート展覧会の開催

2004年1月に開講した色鉛筆アート教室は、水曜日クラス1つ、土曜日クラス1つ、日曜日クラス2つができ、それぞれ月1回レッスンを行なった。

(以前の私のように)“色鉛筆アート”を知らない受講生さん達に対して、「色鉛筆の使い方」、「混色の仕方」、「下絵の描き方」など初心者向けの基本のカリキュラムを進めた。

一般的に、“色鉛筆は弱い筆圧で塗るもの”、“薄い色から塗り始めるもの”という固定観点がある。ぬり絵をする時は、輪郭線をはみ出さないようになぞり内側はサ~っと軽く塗る、また、色鉛筆は混色できず重ねて塗ると色が汚くなる、と思っている人が多い。

そのため新規入会時の初回レッスンでは必ず、色鉛筆は筆圧を変えて塗ることができること、そして混色できることを知ってもらうことから始めた。

またどうすれば、枠の中をムラなく同じ濃さで塗れるのか、「筆圧加減の仕方」や「色鉛筆の動かし方」などをレッスンし、カリキュラムを進めていった。

加えて、自分自身で下絵が描けるよう、キュウリやサクランボなど簡単な課題から始め、カリキュラムの課題を徐々にステップアップさせていった。

例えば、体験レッスンの課題にしているピーマンの、私が描いた絵を見本にして、全く同じ色鉛筆の色を使って描いてもらっても、出来上がる絵は受講生それぞれ全く違う。

それぞれ筆圧が違い、できあがる色の濃さが違う。形も違う。そもそも視力や色覚は違うから、見え方は人それぞれ違っている。同じ絵にならないから、レッスンをしていて楽しく面白いと思った。

そんな受講生作品を、色んな人達にも見てもらいたい、色鉛筆の魅力や可能性の幅広さをより多くの知ってもらいたいと思い、教室開講から半年ほど経った頃、次回の個展を行なう際に受講生にも絵を出展してもらおう、と決めた。

自分の絵を出すなんて・・と初めは皆渋い顔をしたが、各自好きなものを選びオリジナル作品の制作を始めてもらった。

そしてその年の11月に第二回目の個展を行い、会場の一部に受講生十数名の作品23枚を展示した。色鉛筆メーカーや画材メーカーに案内状を送り、受講生各自も友人知人に案内状を送ってくれて、多くの来場者に来てもらうことができた。たまたまギャラリーを覗いてくれる人も沢山いた。

出展した受講生の方々に「絵を描く励みになる」と喜んでもらえたことが嬉しく、『受講生グループ作品展』を毎年開催しようと思った。

ただ、ある来場者に「受講生の人の絵は、やっぱり先生の絵に似ますね」と言われてショックを感じた。色々教えたいから色々言い過ぎて、私が描く絵と似てしまうことになってしまった。折角の個性を失ってもらいたくない。教え方を見直さねばと反省した。

そして、もう一つ残念なことがあった。受講生の絵を見て「みんな元々絵を描く才能があったんですよねぇ~、私は無理」と言う来場者がいた。描いたことがあるのか尋ねると、絵心がないから絶対無理だと言う。

なぜやりもしないで、できないと決めつけてしまうんだろう。同じように「絵心がない」と言いながら描き始めた受講生は、実際に描けるようになっている。そう伝えると、「みなさん元々絵心があったんですよ~」と言う。才能の有無で片付けようとする。

絵に限らず、誰もが何かしらの可能性の種を持っていて、それを開花させるかどうかは自分の努力次第だと私は思っている。

直接的な努力だけではない。間接的な努力で花開くこともある。私は警察官になるために努力したが、その努力が足りなかった。でも何かをしようと努力したことに変わりはない。結果的に、絵を描き、教えるという自分の可能性に気づくことができた。

努力することなく「才能がない」で終わらせる人の話を聞いてとても残念に思い、また受講生や私の努力が認められず、才能という言葉で片付けられてしまうことに、やるせなさと悔しさを感じた。



2025-06-08

13.色鉛筆アート教室の開講

 20年前にはまだ、各企業の電話番号が記載されたNTT発行の電話帳が各家庭に無料配布されていた。その電話帳で、文化センター、カルチャーセンターを調べ、「色鉛筆アート」の講座開設ができないかと片っ端から訪問して回った。

ちなみにその頃は、個人の固定電話番号が記載された分厚い電話帳も定期的に配布されていた。NTTへ連絡すると電話番号を非掲載にできた。しかしながら、たった20年の間に(情報の共有・管理についての)“常識”というものはこうも変わってしまうものだと、時代の変化を今感じている。

カルチャーセンターを訪問して回ると、既に「色鉛筆画」の講座があると言われ、ことごとく断られた。

例えば油絵や水彩画に関しては、同じカルチャーセンターにいくつもの講座が開かれていて、何人かの講師が指導している。しかしながら当時はまだ「色鉛筆」の違いを認めてもらえず、とても悔しい思いをした。

が、であれば色鉛筆講座がないカルチャーセンターを探せばいい。範囲を広げて更にカルチャーセンターを回った。

そして、まだ色鉛筆の講座がなかった一つのカルチャーセンターで、開講できることになった。

そしてまた、カルチャーセンターとは別に個人で場所を借り、教室を開く準備もしていた。色鉛筆とは関係のない、あるイベント開催の手伝いをするため一週間訪れた町屋で、落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけ、レッスンができないかと思いついた。

昼時を過ぎると客がいない時間帯があるため、場所を使わせてもらえないかと店主に相談し、「色鉛筆は匂いもなくテーブルを汚す心配もない」こと、「レッスンの後にお茶とケーキを出してもらいたい」ことを伝えると、「相乗効果が得られますね」と言ってレッスンの開講を快諾してくれた。

遡ることその3ヵ月間前、二回目の個展を開催した時に「色鉛筆アート体験レッスンを受講したいか」をたずねるアンケート用紙を会場に置き、約30名ほどの希望者がいたため、早速その方々にティータイムレッスン開講のお知らせを送った。合計27名の方から参加希望の返信があった。

喫茶店での教室は平日と土日、3回に分け2004年1月に第1回目のレッスンを行ない、美味しいお茶とケーキの甲斐もあり、毎月継続して教室を行なうことが決まった。

カルチャーセンターでの講座は、約10名の受講生を迎え2004年2月に開講した。